石見銀山生活文化研究所とは?大森町で進む古民家再生、根のある暮らし!

2007年7月2日、島根県の石見銀山が、第31回ユネスコの世界遺産に登録されました!

登録された理由として特に、銀山が周囲の自然と一体になっており文化的景観が優れていることや、かつての東アジアの政治・経済・文化交流に大きく貢献していたこと、また、銀の生産に関わる跡がいまだに見て取れることが、大きかったようです。

一部には、まだノミの跡が残っているみたいですね。

しかし石見銀山のふもとにある大森町では、過疎化と高齢化が問題となっています。

銀山に銀が採れたピーク時には20万人もの人が暮らしいたといいますが、閉山して以来人口は減り続けています。

それでも、かつて東アジアの経済・文化交流の中心地となったこの大森町にまた若い世代が現れ大切な世界遺産を継承してくれるよう、活躍している人たちがいます!

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石見銀山とは?

石見銀山は、室町時代に発掘された銀山で、16世紀の半ばから17世紀の前半にかけて、世界最大級の銀の産出量を誇り、当時世界の銀の3分の1は、石見銀山からのものでした。

当時の大航海時代、ヨーロッパで作られた地図には、石見銀山の場所を指して「銀鉱山王国」、と書かれています。質も良く世界中の人が信頼を置く銀でした。

しかし、採掘のピークは過ぎ、約400年で産出が少なくなってしまい、終戦直前の1943年に閉山します。

当時、石見銀山のふもとにある大森町は、屋根が互いにかぶるようにして立ち並んでいるほど、人の多い賑やかな町だったそうで、ピーク時には20万人ほども暮らしていたそうです。しかし閉山と同時に人口は減り、80年代に入る頃には500人を割ってしまいました。

古民家再生って?

そんな大森町、人が急激にいなくなったということはもちろん空き家もたくさん出てきます。人が住まない家は、空気の循環が悪く湿気の多い状態が続きますし、また、掃除もしないので菌やダニが繁殖してしまいますね。だから、人が住まない家は、早く傷んで腐っていってしまうのです。

そんな空き家をたくさん抱えた町ですが、中には自費で買い取って修復してまた住める状態にする、という活動をしている方たちがいるようです。

もともと立派な良いものが腐っていってしまうのは悲しいことで、そんな活動ができる人は素晴らしいと思います!

古民家を再生することによって、古い家の中から活かせるものを最大限に生かしながらも、現代のデザインも取り入れて、昔と今の雰囲気を同時に醸し出すことができます。

静かなライフスタイルは好むけれど、洗練された空間が欲しい、という方も、古い空き家だからといって見過ごせないおしゃれチョイスになってきます。

それに、昔の家には立派な木材が贅沢に使用しており、現在作られている新築では決して手に入れられなかったほどの価値が眠っています。

古民家カフェとかも、流行ってますよね!

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古民家再生に携わる方たち

◽︎石見銀山生活文化研究所

石見銀山麓に本店を持ち、アパレルブランド群言堂(ぐんげんどう)を展開する会社。

1988年に、松場大吉さんと登美さんのご夫婦がものづくりを始めたのをきっかけに成長を続け、現在では全国にファンの和が広がり、スキンケア用品や発酵食品まで、幅広く手がけています。

お二人が本店を始めた頃、すでに大森町の人口は400人程度だったそうです。しかしご夫婦は、里を捨てるのではなく、今の場所を自分たちの”根”として、集客のできない状態から小さな工夫を重ねながら、全国へとのしあがっていきました。

東京では、以下の店舗が直営です。

石見銀山群言堂丸の内店 東京千代田区丸の内2-7-2

Gungendo COREDO室町店 〒103-0022 東京都中央区日本橋室町1-5-5

新宿店 〒160-8001  東京都新宿区西新宿1-1-3 小田急百貨店8階

本店はなんと築220年の武家屋敷を再生したもの。修復には10年の年月を要したそうです。

それでも、良いものが捨てられるのが忍びない、という人柄のご夫婦は、本店以外にも空き家をいくつも修復してきています。

また、そのうちの一つが古民家宿、他郷阿部家(たきょうあべけ)に生まれ変わり、登美さんが洋服作りのかたわら経営しているよう。すごいエネルギーです!

オンラインショッピングもできるみたいで、ちょっと覗いたところ、”鳥ついばむ木”ブラウスや”春の庭”ワンピースなど、ネーミングにきゅんときました!竹を使用したバンブーリネン、藍染、カシミヤなど、素材にこだわっているのもよく分かります。

1着1着に、丁寧な美しい暮らしをする、という松場さんのメッセージが込められています

◽︎中村俊郎さん

義足や義手のメーカーとして世界にしられている、中村ブレイスの社長さんです。

中村さんも大森町の出身で、過疎化に対して行動を起こす人の一人です。

昔大森町には、大森座という町民の交流場があったそうです。銀が採れ人がたくさん暮らしていた1915年に、銀山の経営会社がつくった芝居小屋で、映画が上映されたり子供達が劇を披露する場となっていたようです。

しかし過疎化が進むにつれて老朽化が進み必要とする人もいなくなったので、1964年に解体されました。それと同じ”大森座”という名をつけて、旧郵便局跡地にオペラハウスを作ったのが中村さんです。

オペラハウスは、100人収容サイズの小さなもの。けれど、朽ちた空き家をこれまで48軒以上も買い取り修復し、別の家族が住めるようにするという活動を続けた中村さんは、また大森座が賑わい、大森町の素晴らしい世界遺産を後世に伝える担い手になってくれることを願い、文化発展の願いを込めまして建設しました

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